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災害の知識集04 有馬ー高槻構造線の地震
近畿地方では、大阪府北部の有馬ー高槻
構造線は大きな活断層です。
この断層帯は、六甲・阪神淡路の
活断層帯に連なっています。
しかし、今回の大地震では、この有馬〜
高槻構造線が動かなかったということ
が判りました。
そのために、阪神淡路大地震が
引き金になって、この有馬〜高槻
構造線に沿った近隣地域では、明日に
でも大地震が起こるのでは、という
不安が募って、社会的な大問題に
なったことがあります。
当時は、この問題がメデイアでも盛んに
取り上げられて、それが更に不安を
呼ぶという悪循環に陥っていました。
その不安を解消したのが、寒川氏の
「地震考古学」による実証的な説明に
よるものでした。
豊臣秀吉が京都市の南部の伏見に
永禄元年(1592年)、伏見城を築城
した後の慶長元年{1596年)7月
13日未明、慶長伏見地震と呼ばれる
大地震が発生し、伏見城の天守が
大破、石垣が崩落して600人及ぶ
圧死者を出したと記録されています。
この地震は京都の三條から伏見の
間で被害が最もひどく京都市内では
多くの仏閣が倒壊しました。
被害は奈良にも及び、多くの仏閣が
被害を受けた記録が残っています。
有馬ー高槻構造線沿いでは被害の
顕著な記録は残っていませんでしたが、
寒川氏の調査で、この構造線沿いで
次々と慶長伏見地震による断層などが
見つかり、有馬ー高槻構造線が動いた
ことが判りました。
400年前にエネルギーの放出があった
ことが判ったのです。
この時の断層と更に古い断層の年代を
調べてゆくと、約2500年の年代差があり、
古くは8000年前の断層も見つかり、
2500年ほどの周期で大地震を引き
起こしていることが明らかになり、今後、
約2000年間は大地震は起きないだろう
という結論になり、人々に安堵感を与えて
大きな感謝の声が起こったと言われています。
地震考古学の真骨頂ですね。
「備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。
安全と安心の非常持出袋の準備は?